箸蔵街道1/財田駅


讃岐財田駅から林道出会いまで

讃岐財田駅まで妻に車で送ってもらう。財田駅は無人のJR駅である。駅の中にトイレがあるので,そこで用を済ます。駅の駐車場では,自動車で2人づれの登山者が既に来ており,私より先に登りだした。

駅前の道を右に進む。周りの家は大きな構えの家が多い。踏切を渡り,四国のみちの標識にしたがって進む。周りには田畑が広がっている。稲は刈られた後であり,ネギが植えられた畑が見える。どの田畑も猪防止柵を設けている。舗装の道路から山道に入る。山道にも猪防止柵がしている。

それを進むと百丁石の案内板がある。この先から箸蔵街道が始まるというか,終わる。というのは,百丁石の番号は箸蔵寺から始まり,財田で終わっているからである。

すぐに工事用の舗装道路に出る。この上に砂防ダムがあり,その工事のためにつけられた道路である。砂防ダムは既に完成しており,周辺は静かである。

砂防ダムの手前から再び山道に入る。しばらく急登が続く。この辺りは落石が多いようで,危険防止を呼び掛ける案内板を多く見かける。急坂を登ると,少し坂が緩やかになる。そのまま進むと林道出会いに達する。

8:00 讃岐財田駅 → 踏切 → 百丁石案内板 → 8:50 林道出会い

(2018年11月10日 日曜日 快晴)


百丁石案内板には以下のような説明文が書かれている。

百丁石(ひゃくちょうせき)

明治8年(1875年)から明治10年(1877年)にかけて,大久保諶之亟(おおくぼじんのじょう)が太鼓木から石仏の中腹に6尺(1.8メートル)の新道をつくりました。この道は新街道とか太鼓街道ともいわれています。ここ荒戸には今も「箸蔵寺百丁」の道標が残っており,馬子唄や鈴の音がこだました往時の様子が偲ばれます。

これは,旅人に箸蔵寺(はしくらじ)までの里程を示してくれた丁石で,大きくて立派なものです。1丁は約109メートルであることから,この百丁石から箸蔵寺まで11キロほどであると,この丁石は教えてくれています。

道中には,まだ丁石が残っているところがありますので,ぜひさがしてみてください。

平成13年5月 香川県

また,砂防ダム下の山道入口には以下のような箸蔵街道の説明案内板がある。

箸蔵街道(はしくらかいどう)

箸蔵寺(徳島県池田町)は,こんぴらさんの奥の院とも呼ばれ,こんぴらさんに参拝した人は箸蔵寺にもお参りしたものです。箸蔵街道はこうした参詣人(さんけいにん)のための街道として栄えた道で,阿波街道の猪の鼻(いのはな)越えと共に,当時の重要な交通路でした。

毎日,二,三十人ずつの人が列をなしてこの街道をつぎつぎと行き来したそうです。また,農繁期前後には何百頭もの借耕牛(かりこうし)が鈴をならして通ったといいます。

二軒茶屋と呼ばれているところは昔茶屋が二軒あり,ほかに民家も二,三軒あったそうです。いまでは,茶屋も姿を消し,たった一軒残った民家で最近まで炭焼きの老夫婦がひっそりと山暮らしの日々を送っていました。

そのほか,明治末まで荒戸(あらど)のふもとに「さいはん」という大男が住んでいました。さいはんは毎日馬の背に米六斗(90キログラム)を積み,自分は三斗を負(お)って阿波通いをしたという話もあります。

ここから2.4キロほど上ったところには眺望のすばらしい休けい所があり,また,二軒茶屋から箸蔵寺の方にむかって約2キロほど行けば馬除(うまよけ)という山あいの集落もあります。

昭和61年3月 香川県