天神峡


妻と井原(いばら)市の天神峡に行く。駐車場から天神社に行き,まずは用を済ます。天神社は高くて太い杉に囲まれている。天神様にお参りし,もみじ橋の方に行く。観光客が十名ほどあちこちを散策している。もみじ橋周辺は楓の木を中心とした紅葉で,色あでやかである。
もみじ橋を渡り,砂防公園の方に行く。砂防公園は小田川の支流中村川の砂防工事に付随して作ったのであろう。砂防公園の小田川の河岸に降り,妻と昼食をとる。岸べりに座って川面を眺めると,澄み切った水の中に小さな魚たちが泳いでいるのが見えた。川面に時折,落葉した葉が流れている他は何もない澄み切った水である。

食事を終え,小田川の上流に向かい,散策する。年配の人々がピクニックに来ているのか,数人で食事をしているところに出会った。一人が自分で作った大根であろうか,皆に配っていた。楽しそうな集まりである。

はずれに歌碑があった。

はやたつの かけひの水の なかれては にこりなき世の あふ瀬也けり
長和五年 善滋朝臣為改 詠

長和五年は平安時代である。

「早辰の 筧の水の 流れては 濁りなき世の 逢瀬なりけり」
早朝,庭の筧に水が清々しく流れています。それは清らかな世の中でのあなたと私の出会いのようです。という意味か。

小田川沿いに進むと,土砂崩れのあとが見える。川岸の木々がなぎ倒されている。台風による濁流のせいであろうか。この小田川の下流は今年,近年経験のない台風被害を受けている。
小さな橋を渡っているとき,川面にオシドリの群れが十数羽,泳いでいるのが見えた。静かな流れである。

駐車場 → 天神社 → もみじ橋 → 砂防公園 → 歌碑 → 小さな橋 → 駐車場

(2018年11月15日 木曜日 晴れ)


案内板には以下のような説明がある。

天神社

天神社創建年代は詳(つまび)らかではないが,「天神社誌」に次の様な話が記されている。
「延喜元(901)年菅原道真が太宰府に左遷される途中播州曽根(現兵庫県高砂市曽根)に立ち寄り,自らの像を刻んで『我を信仰ある所に落ちよ』と投げ上げた。像は当地に飛来し,これをみつけた村人たちによって祠(まつ)られ,以後天神社は吉井の氏神として信仰された」
ここに書かれた伝説のすべてを信じる事はできないが,曽根にも道真の伝説を残す曽根天満宮があり,幕末ともに一橋藩領であった吉井と曽根の関係を示しているのではないかと考えられる。
また,文明年間(1469~1486)に画聖・雪舟が天神社に詣で,そこに祠られていた道真の肖像画を天神山の重玄寺に持ち帰ったと言う。この伝説の画幅は昭和55年に重玄寺(芳井町吉井)の宝物の中から発見されて話題を呼んだ。
本殿・延宝三(1975)年,拝殿・文政四(1821)年,弊殿は大正四(1915)年の造営。例祭は十月の第四日曜日に行われている。

平成17年3月 井原市教育委員会