本島


夜半3時ころ目覚め,眠れないのですこしパソコンをいじって再び寝床につく。明るくなって妻に声を掛けられて起きるともう8時である。外は清々しい朝である。日がまんべんに降り注ぎ,暖かい空気になっている。朝食を済ませ,この天気のもとで今日何をしようかと考える。いろいろしたいこと,行きたいところがあるが,週末の末っ子の結婚式のことを考えるとあまり危険なことはできない。そううつらうつら考え,今日は丸亀市の沖に浮かぶ本島に行くことにした。

本島周辺はいま瀬戸内国際芸術祭の真っ最中である。妻に港まで送ってもらい,フェリーで本島に向かう。平日なのに乗船客が多い。多くの人が軽リュックを背負っている。皆,芸術祭のための観光客なのであろう。外国の人も複数見える。

泊港に着くと,客はレンタル自転車やシャトルバスに乗ってそれぞれの目的地に進んでいく。私はウォーキングが目的だから,ゆっくりてくてく歩いていく。

本島中学校の横の丘には天理教のおおきな教会が建っている。たぶん今回が最後の本島めぐりと思い,天理教の教会を見学にいく。教会を正面から見るとお城のような屋根構えの建物である。石階段を登り,ガラスが組み込まれたおおきな格子戸の中を覗き込むと,中には板階段があって,おおきな板戸があり,中の様子がわからない。ガラス格子戸と板戸を開け,中に入る。さらに進むと板廊下があって,もう一つの戸がある。その戸の内側に入るとひろい畳の部屋があり,遠くに祭壇がある。畳に座り,手を合わせる。

天理教教会では人には出会わなかった。教会に通じる坂を下り,つぎに塩飽勤番所(しわくきんばんしょ)跡に向かう。古くて小ぶりな建物である。中を見学するが,歴史的興味が湧かないのが悲しい。

勤番所跡を後にして笠島集落方面に進む。新在家集落のあたりで昼になったので,ベンチのみがある休憩所で買ってきたおにぎりをほおばる。

休憩所を少し行くと岩にちいさな磨崖仏が掘られていた。仏像のような恰好ではないので,古いものか新しいものか判別できない。

笠島集落は街並み保存をしているせいか,きれいに整えられている。ただどの建物も200円ほどの入場料を取っているので,外から眺めるばかりで中には入らなかった。

観光客があまり行かない路地の方に進むと,尾上神社があった。土地の氏神様を守っている神社であろう。古いが味わいのある神社である。本殿にお参りし,下っていると夫婦づれにであった。こんにちはと挨拶をかわす。

尾上神社から山をすこし登り,長徳寺に行く。小さいが奥ゆかしい本堂がある。この寺は真言宗の寺であるが,本堂では南無阿弥陀仏を10回ほど唱えた。境内にはおおきなモッコクの木があった。

それまではゆっくりしたウォーキングであったが,連絡船の出発時刻に間に合うように速歩で泊港まで戻った。

(写真は磨崖仏である)

泊港 11:15 → 天理教教会 11:40  → 塩飽勤番所跡 12:00  → 新在所休憩所(昼食) 12:20  → 磨崖仏  → 笠島集落 12:50  → 尾上神社  → 長徳寺 13:40  → 泊港 14:00

(2019年10月28日 月曜日 快晴)

在日

今日は病院でCT撮影を受ける日である。

ここ一週間ほど下痢が続き,微熱が出ていた。そのため,用心をしてなるべく床に臥せる時間が多くなっていた。

インフルエンザの予防接種は先週,医院に予約して受ける予定であったが,微熱が引くまで待とうということで,微熱の引いた昨日予防接種を受けた。予防接種の副作用のせいか,お腹が疼き,寝ていて急に胃の内容物をもどしそうになる。そのときはいそいでトイレに行き,便座に口を向けて吐く用意をするのであるが,つばのみが出るばかりで内容物は出てこない。そういうことを昨日の夕方から今朝まで繰り返していた。

病院に行く頃にはすこし気分がよくなって,無事CT撮影を受けることができた。

姜尚中(かんさんじゅん)の「在日」という本を図書館から借りて,今日読了した。以前ならばこの本はあまり手にしたくない本であった。在日という差別の歴史が記述されていることが予想できるので,読むのにつらい気持ちになるだろうと思ったからである。

ただ,そういう差別の中で姜尚中がなぜ早稲田大学に進めたのか,なぜドイツに留学できたのかについては興味があったので借りることにしたのである。

読んでみると少年時代の苦難は想像どおりであったが,意外と経済的には多少の余裕があるように感じた。また,ドイツ留学のいきさつについての記述は面白く読んだ。

この本でもっとも納得いったのが自分を在日の民から東北アジアの民へと昇華していくところである。知識人として日韓問題だけでなく,さまざまな問題にコメントしていく過程で,自分の立場をどうあるべきか考察するあたりは参考になる。

姜尚中が影響を受けたエドワードサイードの「わたしはときおり自分は流れつづける一まとまりの潮流ではないかと感じることがある。」という言葉は,福岡伸一が述べている生命の動的平衡を社会にまで広げた概念であると読め,面白く感じた。

国というくくりでなく,人間や物質,思想のおおきな流れを東北アジアの歴史として記述した歴史書が出ないものかと期待し,そのような書物が出たときはぜひ読んでみたいと思った。

(2019年10月24日 木曜日 雨)

毎日が日曜日

毎日が日曜日とは今日このごろのことをいうのかもしれない。

朝,目覚めると外は明るくなっている。以前はどうしても4時ごろに目が覚め,真っ暗な中,電気を灯し,新聞を読んだりして明るくなるのを待っていた。ところがここ何日かは外が明るくなってから目覚めるのである。

夜中に一度排尿のため目覚めるのはいつもの調子であるが,眠ってしまえばぐっすりと眠れる。

朝食を終え,作業着に着替え,わずかな力仕事を始める。ほんの一時間程度であるがすがすがしい気持ちになる。そうこうしているとすぐ昼になる。

最近は妻の作ってくれる食事がとくにおいしい。手の込んだ料理もおいしいが,シンプルな一汁一菜(いちじゅういっさい)のときもおいしく食べることができる。妻といろいろなことを穏やかに話しながら食べる食事は最高である。

昼食を食べると,血糖値が高まるためか,眠気がでる。そうすると引きっぱなしの布団に潜り,すぐに眠りにつく。以前だと,食べてからすぐ寝ると体に良くないよという妻の言葉が飛ぶが,いまはそのようなことはない。眠りたいだけ眠り,目覚めれば起き上がる毎日である。

気持ちがゆったりとして,気持ちよい。ほんとうに毎日が日曜日という気分である。

(2019年10月22日 火曜日 曇り)

ちょうさ


昨日は大型の台風19号が関東地方を襲い,西日本も曇り空で日本中に広く影響が出た。長女の嫁ぎ先の地域の秋まつりが昨日,今日とあったが,一度見てみたいという希望を長女に伝えると,長女がまつりのいい時間帯を見繕って連れて行ってくれた。

まつりの盛んな地域なので,神輿やちょうさ,獅子舞などがにぎやかに行われていた。

私たち夫婦と長女,孫二人して,長女の伴侶が乗るちょうさ(太鼓台)を神社で見る。勇ましいかきくらべで長女は興奮している。いい光景である。私たちもにこやかな笑顔で見守っている。

地域のよい面をみた思いである。

(2019年10月13日 日曜日 曇り)

松江城


昨日は雨模様の天候だったのに,今日は晴天である。歩くにはすこし暑くなりそうである。

今日は松江城と県立美術館を見学する予定である。宿で朝風呂に入り,9時すぎに松江城に向かう。玉造温泉が松江市内にあるため,松江城は車で直ぐである。松江城の近くの有料駐車場に車をとめる。小さな駐車場であるが,朝早いためか駐車場は半分くらいしか車が埋まっていない。駐車場から松江城に向かう。

松江城は小高い丘のうえに建っている。黒塗りのお城である。長野の松本城とおなじ装束であるなあと妻と話ながら天守の方に進む。

天守は5階建てで,急な階段が続いている。普通ならばなんでもない階段であるが,昨日の銀山でのウォーキングで足にきたのか,階段を登るときフラフラする。それを見て妻がしきりに心配する。なんでもないと自分では思っているのに手は階段の手すりをしっかりつかんでいて,おっかなびっくりの様子である。自分自身でおかしさがこみ上げてくる。

天守から見る景色は素晴らしい。宍道湖(しんじこ)がいい感じで見える。宍道湖を私がしきりに「ししどこ,ししどこ」というものだから,妻があれは「しんじこ」ですよと注意する。

天守を降りて,城内の興雲閣に向かう。西洋風のこの建物は明治天皇が訪問した折の宿として建てられたようであるが,明治天皇の訪問は中止され,実際に泊まった天皇は大正天皇であったらしい。

松江城より歩いて島根県立美術館に向かう。夕方の風景を描いた絵画の企画展をしていた。一応全部に目を通したが,それで疲れてしまい,中二階のソファーで横になって寝ていると,女性の館員の方が不振に思ったのか,大丈夫ですかと声を掛けてくれた。大丈夫ですといって起き上がった手前,館員の方がいなくなってももう一度横になることが気持ち上できず,ソファーに座ってボーっと外を眺めていた。

帰りは疲れたのでバスで駐車場近くまで行くことにした。

帰路,大山にも寄る予定を立てていたが,寄らずに直帰する。

(2019年10月9日 水曜日 晴れ)

石見銀山


稲刈りを8割方終えたところで松江まで妻と一泊旅行に行くことにした。妻とのほんのちょっとした会話のなかで,どっか旅行に行きたいねという提案があって,インターネットで調べたら直近の日付なのに旅館が空いていた。そこで思い切って1泊旅行に行くことにしたのだ。

心配は我が家の飼い猫の世話である。その猫は屋根か木から落ちたのか知らないが,背骨を骨折して,一時期半身不随になっていた。獣医の先生の適切な治療と我々の本当に献身的な世話のお陰で,歩けるまでに回復したのはいいのであるが,下半身に神経が十分に伝わらないせいで,自分で排便排尿ができない。1日になんども圧迫排尿をしているのである。そこで飼い猫は行きつけの動物病院に預かってもらうことにした。

松江は次男の伴侶の里がある地域である。出雲には以前行ったことがあるので,今回は石見(いわみ)銀山に行くことにした。

瀬戸中央道,山陽道,尾道道の高速道路を通り,三次(みよし)からは下道を通って石見銀山まで行った。石見銀山付近にはいろいろ見るところがあるようだが,時間の関係上,竜源寺間歩(まぶ)だけを目指して行くことにした。

下道をいっているときは対向車にほとんど出くわさなかったので,あまり観光客は多くないのではと思っていたが,駐車場に着くと以外にも多くの車が止まっている。しかも車のナンバープレートを見ると遠くからやって来た車が多い。さすが世界遺産のことだけはあるなあと感心する。

間歩(まぶ)は坑道をさす言葉のようである。公開されている間歩は竜源寺間歩しかないため,そこに向かう。駐車場から間歩までは歩行か電動自転車でいくしかない。歩いて行こうと妻と相談する。

道は車が1台通れるほどの生活道である。ちょうど雨が上がって,気持ちよい状態である。

古いけれど整備された民家が立ち並び,小学校や保育所が道の横にある。どれも趣(おもむき)のある建物である。さらに進むと建物は絶え,木々が道の両側にそびえ立つ。左手に水量豊かな小川が流れている。

竜源寺間歩に到達する。入場料を払い,間歩の中にはいる。間歩の高さが私の背丈より少し低いため,腰をかがめつつ前に進む。細くて小さな坑道がたくさん横に伸びている。這っていかなければ入れないような坑道も多い。先人の苦労が偲ばれる。

途中から,最近掘られたような坑道になり,出口に出る。

石見銀山では竜源寺間歩だけ見学し,玉造温泉の宿に向かう。車での遠出はすこし疲れたが,間歩までのウォーキングと間歩の中での体験は楽しいもので,来た甲斐があった。

(2019年10月8日 火曜日 曇りときどき雨)

稲刈り


今年は田に白い筋が目立つ稲が多く,妻が大変心配していた。農協の人に見てもらうとウンカによる病気だという。うちの田はまだよい方であるが,隣の田は一面葉が白い。

車で通行中に見る田にもところどころ稲が部分的に倒れている田がある。ウンカによって,稲の茎がやられたのであろう。

農協の人が言うにはウンカよりむしろカメムシの方が心配であるそうだ。

いつもより早めに稲刈りを行う。長男がコンバインの操作をしてくれたおかげで,私や妻は比較的楽な作業になった。収穫は少し少ないが,倒れもせず,がんばった稲に感謝しよう。

(2019年10月6日 日曜日 晴れ)

渡辺幸一と金纓

いつもは丸亀市の飯山図書館を利用しているのに,どうゆう訳かここ何週間か宇多津町の図書館を利用している。又吉直樹のまだ発売されていない小説「人間」の書評が毎日新聞に出ていると知って,飯山図書館に見に行ったのだが,あいにく飯山図書館は休館日になっていて,それで宇多津図書館まで出向いたのであった。

なぜ,まだ発売されていない書籍の書評がでるかというと,関係者にだけ配る試作本みたいなのがあるらしい。書評家はそれを読んで,さっそく書評におよんだようである。

新聞に掲載されたその書評は面白く読んだが,せっかくいつも来る図書館とちがう図書館に来たのだから,どのような本が収納されているか,見てみることにした。そのとき借りた遠藤周作のエッセイ「人生の踏絵」は最初の章に「沈黙」を書いたいきさつを記していて,面白かったが,次章以降はやや難解なキリスト教小説の話題になり,途中で放り出してしまった。

つぎに図書館へ行ったおり,渡辺幸一のエッセイ「イギリスではなぜ散歩がたのしいか?」を借りた。このエッセイはイギリスでの日常の暮しをユーモアを交えながら記してあり,楽しく読んだ。内容もさることながら,この著者が日本からイギリスに家族をともなって移住している事実に興味を持った。移住の苦労話もほんのすこしだが記しており,このような人生を送る人の気持ちの中味を想像するのが楽しかった。

つぎに借りたのが金纓(キムヨン)のエッセイ「それでも私は旅に出る」である。金纓は韓国人であるが,韓国に留学していた日本人と結婚し,二十歳をすぎてから日本に移住してきたひとである。キリスト教の女性牧師をしていたが,夫に先立たれ,子らはりっぱに成人したので,旅にでたという話である。その話じたいも面白いのだが,彼女の人生にも興味を持った。

渡辺幸一にしろ,金纓にしろ,私と違った人生を送っており,その苦労はいろいろあるだろうが,思い切った人生の送り方に感服せざるを得ない。2人のエッセイは私に新しい視点を与えてくれた。

(2019年10月3日 木曜日 曇りときどき雨)