手術前

入院して17日目である。それなのにまだ十二指腸の詰まりの処置ができていない。処置の方法は決まっていて,十二指腸バイパス手術をすることになっている。

最初,1月30日に手術予定があったが,手術する前に少し熱が出て,その対策のために抗生剤の点滴を受けた。抗生剤の点滴は前の肺炎のときに受けたものと同じもので,そのときは副作用がほとんどなかったのに,今度は副作用がひどく出た。そのために手術ができなくて,延期になったのである。

延びた手術は2月5日にやっていただけることになった。今度こそ,体調を万全にして手術を受けたいと思っている。

体調は今のところいいのであるが,少し心配なところもある。血圧がここ2,3日異常に高い。またくしゃみや鼻水が出るようになった。

無理せず,心静かにすごそう。

(2020年2月1日 土曜日 曇り)

オムツ

入院して3日目にお粗相(そそう)をしてしまった。栄養缶を飲みだしたため,腸が動き出し,病床からトイレに行く最後でがまんできなくなり,パンツに便を出してしまったのである。

実は家にいるときもたまに便をパンツに付けることは時々あったから,お粗相をすることは仕方なしと思ってはいたが,その時のお粗相は自分でも手に負えないものになっていた。

トイレの便器に座り,パンツの中を覗くと,トイレットペーパーでちょいとふいたら取れるという量ではない。これはダメだと観念し,非常呼出のボタンを押す。看護師さんが2人かけつけてくれて,やさしい言葉であと始末をしてくれる。妻も来てくれて,何とか浴室で体についている便を洗う。妻と看護師さんに感謝である。

それからは,ずっとオムツ着用である。

実際にオムツをはいていると,思ったよりもずっとはきごごちがよい。これからは,ありがたくオムツのお世話になろう。

(2020年1月30日 木曜日 晴れ)

最後の食事

入院してからたまっていた胃の内容物をチューブで外に出してもらい,吐き気はおさまった。食事は栄養缶のみになった。胃ろうで入れる栄養缶と同じものである。バニラ味が付いていて,飲みにくい。

それが4日ほど続き,再び夜中に吐き気がし,一晩中,ベッドの上で嘔吐した。吐き出した内容物は余り多くなく,胃の中にまだだいぶたまっているようであった。朝,看護師さんに再びチューブで胃の内容物を出してもらい,吐き気はおさまった。

その後2,3日,再び栄養缶を飲んでいたが,手術の準備のため今度は栄養をすべて点滴で摂ることになった。

そのとき感じたのは,ひょっとして最後の食事の時期をもう既に逸(いっ)したのではないかということであった。

特に何が食べたいというのではないが,普通の食事がもうできなくなっているかもしれないという思いが強くなり,後悔した気分になった。

食事が生きるたのしみのすべてではないが,大きな部分を占めていたなあとつくづく思うのである。

妻が,手術がうまくいったらまた食べられるから,食べたいものを考えておいてと言ってくれる。それを励みにしよう。

(2020年1月26日 土曜日 曇り)

再入院

正月前に肺炎で入院したばかりなのに,再び入院するはめになった。低残渣食にして食べていたつもりだったが,気分がいいと図に乗って低残渣食でないものにも手を出してしまった。その結果,嘔吐しても吐き気が止まらなくなり,2日間何も食べられない状態になった。

妻が心配してくれて,病院に連絡し,急患で受診し,そのまま入院となったしだいである。

入院する前に体がだいぶ弱っていたため,入院しても寝ているばかりであったが,今日になってようやく体調が戻って来た。

子供たちや親類の皆さんが心配してお見舞いに駆けつけてくれた。うれしい限りである。

明日,院内カンファレンスがあり,たぶんどのように十二指腸の詰まりを解消するか,結論がでるはずである。

静かに待っていよう。

(2020年1月20日 月曜日 晴れ)

遍照院


今朝は妻の体調が悪い。吐き気があるそうだ。妻に代わってゴミ出しと台所の片づけを行う。9時ごろになるとのすこし落ち着いた様子になる。妻にもう大丈夫と言われ,ウォーキングに出かける。

今日は遍照院周辺を歩いてみよう。遍照院は弘法大師が開いた寺で,かつては7万9千平方mの広大な境内を有していたが,南北朝期にこの地に南朝の陣を張り,戦さで北朝に破られたため,すべてが焼失した。今は小さな本堂が再築されている。

遍照院のあるあたりの地名を高野町というが,これは高野山に対し,女人往生の道場として高野山に倣ってつくられたためであるそうだ。

遍照院で般若心経を唱え,先に進む。高野町は白峰寺の入口でもあるが,そちらには行かず,隣接する雄山(おんやま)雌山(めんやま)を一周するルートを行く。

しばらく進むと神谷川の汐留水門に出合う。このあたりから風が強く吹いてくる。海の方向を見ると,遠くに瀬戸大橋と広島が見える。道には人も車も走っていない。

神谷川沿いに山すそをまわる。集落があるあたりで,集落の中の生活道路を進む。細い道の先に総社神社があった。りっぱな神社である。総社の名前の由来はつぎのようである。

昔,国司が都から各地方に派遣されたとき,国司の重大な仕事の一つはその地域にある神社をひとつひとつ廻っていくということであった。ところが神社はあまりにも多いため,それらをひとまとめにした総社神社というのを作って,そこに詣でればすべての神社に詣でたのと一緒になるというので,総社神社が作られたそうである。

総社神社を後にし,遍照院に戻る。

(2020年1月13日 月曜日 成人の日 晴れなれど風強し)

どんと焼き


明日は早朝に飯(いい)神社でどんと焼きが行われるので,昨年のお札や正月飾りを持って飯神社に行ってきた。今日中に持って行けば,神社の係の人がそれらを燃やしてくれる。

昨日は大水上(おおみなかわ)神社を訪れたおり,多くの杉の小枝が落ちていると嘆いてみたが,飯神社でも杉の小枝が多く落ちていた。正月前に氏子総出で境内を大掃除したはずなのに自然の力にはかなわないと思った。

妻と本殿や飯天神にお参りしていると我が家の近所の方が同じようにお札を持って来,お参りしていった。挨拶を交わす。

飯神社は静かである。私の小学校時代の同級生が土木業を営んでいて,彼が絵馬を飾る堂を昨年寄進していた。長男夫婦が正月詣でに来たとき,彼に会って話をしたそうである。絵馬を覗いていると,長男が書いたらしい絵馬が見つかった。

妻とゆっくり境内をめぐり,家に戻った。

しばらくぼんやりしていたが,そうだ,ダイダイのマーマレードを正月明けに作ろうと考えていたことを思い出した。庭にあるダイダイの木から20個ほどのダイダイの実を取って,妻とともにマーマレード作りに励んだ。一年ぶりの作業であったため,忘れていることが多く,妻と相談しながら作業を進めた。

私は現在食物繊維が食べられない身であるので,残念ながらマーマレードの試食をすることはできなかった。

(2020年1月12日 日曜日 曇りのち小雨)

高瀬町東部



今朝の新聞の香川県版に対照的な二組の夫婦の記事が載っていた。

一方の夫婦は県内在住の元教員の夫婦で,夫が数年前にALS(筋委縮性側索硬化症)を患っている。発病以前は夫婦で四国八十八か所を巡っていたが,途中でそれができなくなった。しかしもっと生きたいと願い,人工呼吸器をつける手術を受け,四国八十八か所巡りを果たしたという記事である。

もう一方は三重県から四国まで乗用車で来た夫婦が車もろとも海に飛び込み,自殺したという記事である。

妻にウォーキングの出発点まで車で送ってもらう道中,長年連れ添った夫婦でもいろいろな結末を迎える夫婦がいることを改めて語り合った。

今日のウォーキングは大水上(おおみなかみ)神社から開始して,お茶畑をのんびり巡ろうというものである。空は晴れ渡り,風はほとんど吹いていない。温かな日差しが気持ちよい。

大水上神社は水の神様を祀っている。神社の横を川が流れ,森がうっそうとしているので湿度が高い。狛犬や石碑はみな苔むしている。参道や境内には杉の小枝が積もるほど落ちている。神主さんが作業着で大きめの杉の小枝を集めていた。

本殿にお参りし,先に進む。

高瀬町の東部は丘陵地帯であり,どの道もちいさなアップダウンの繰り返しである。しばらく進むと茶畑が見えてきた。県内では比較的有名な茶の産地である。どの斜面にも茶の木が植えてある。

茶畑の上には高い位置にファンがしつらえてある。霜を予防するためのファンであるそうだ。

茶畑の間を普通の人の2倍くらいの時間をかけて,ゆっくり巡る。ほんとうにのんびりした気分になる。

茶畑を過ぎると,妻との待ち合わせ場所まで急ぐ。

(2020年1月11日 土曜日 晴れ)

二枚の写真

今日は午前中病院に行き,午後はお寺の報恩講に参加した。

報恩講のお経が終わり,2名の方がお寺への納骨のお経を個別にあげてもらっていた。たまたま聞き耳を立てているとそのうちの1名の方が我が家の遠い本家筋に当たることに気がついた。地域の共同墓地にあるお墓を墓じまいするということは前に聞いていたが,今日お寺に納骨のお経をあげてもらう偶然に驚いた。その方と短い挨拶を交わし別れたが,今日報恩講にお参りできてよかったねえと妻と語り合った。このような偶然はなにかの取り計らいかもしれないと思ったものである。

最近妻が二枚の写真を飾ってくれた。両方とも私と妻の若いときの写真である。

一枚目は私と私の友人および妻で,仙台市近辺の面白山(おもしろやま)に登ったときの写真である。そのころ私の友人が写真に凝っていて,私と妻が山頂の草むらで並んで座っている写真である。

妻はショートカットの頭髪をしていて,最初に出会ったときと同じ様子である。

二枚目は妻が初めて四国まできたときの写真である。私と妻は金毘羅山にお参りにいった。絵馬堂に大きな鏡が置いてあって,鏡越しに撮った記念写真である。妻はおさげ髪をしている。若い妻の写真が懐かしい。

妻は越後の産で,しかも一人っ子であった。だから私と妻が付き合うことにはいろいろな反対の声があったが,そのころ私はあまり空気を読まなかったのかもしれない。

遠く四国まで引っ張ってきたが,よくぞついて来てくれたと感謝の気持ちしかない。妻の両親の心配や苦痛は今になってわかるのである。

(2020年1月9日 木曜日 晴れ)

今は朝の5時である。4時ごろ目が覚めて,眠れなくなった。外では雨の音がせわしない。久しぶりに屋根にたたきつける雨の音を聞いた。

孫のことを考えつつ,ぼんやりパソコンに向かっている。孫自慢は人の本道ではないと思っている。なぜなら,法句経にもつぎのような詩があるからである。

  法句経 六二

  「我に子等(こら)あり
   我に財(たから)あり」と
  おろかなる者は
  こころなやむ
  されど、我はすでに
  我のものに非ず
  何ぞ子等あらん
  何ぞ財あらん

だけど,やはり孫はかわいい。

一人目の孫ができたときは,最初どのように接していいのかと戸惑った。しかし,二人,三人,四人と毎年のように孫に恵まれ,妻と孫がキャアキャア言いながら遊んでいるようすを眺めていると,いとしさは増すばかりである。

自分の子等にも笑いながら接した記憶が乏しいのに,孫が来るとどうしても笑顔いっぱいになってしまう。

妻とほんとうによい晩年を迎えられたものだと話している。

今日は10時から病院でCTの撮影がある。みぞおちあたりのムズムズ感もなく,体調はよい。今日一日,良い日でありたい。

(2020年1月8日 水曜日 雨)

大麻山山麓


朝10時ごろ,妻が「今日は日差しがあったかいよ。外に出てみな」といってくれた。それで近くを散歩でもしようかと思っていたが,だんだんウォーキングに行きたいという気持ちが強くなった。それで急遽(きゅうきょ)計画を立て,ウォーキングに出かけた。

今日は神社仏閣には寄らないことにしようと思い,大麻山(おおさやま)の山麓をのんびり巡ることにした。結果として,ひとつ神社に寄ることにはなったのだが。

大麻山は細長い台形のかたちをした山である。今日のコースは大麻山の西の山麓をめぐるものである。山麓を結ぶ道路が1本走っていて,交通量も多くない。このコースならばのんびり行けるのでは思ったのである。

コースの開始点まで妻に車で送ってもらい,出発した。

道路は適度に坂の登りと下りがあり,変化に富んでいる。道路の両側には畑と竹林がある。畑ではキャベツや唐辛子の収穫をしている家族の横を通り過ぎると,あたたかな黙礼をしてくれる。こちらもこんにちはと挨拶を返す。

このあたりの竹林は手入れが行き届いていて,いままでに見てきたどの地域の竹林よりもすばらしい。地面に竹の残骸がなく,ひとつひとつの竹が広い間隔で生えている。このようになるには相当の手間が必要であったに違いない。

山里のよい雰囲気を味わえた。

しばらく進むと梅の宮1kmというちいさな看板が出ていた。進行方向とは異なり,山の方に矢印が向いている。どうしたものかとすこし思案したが,1kmならば往復しても大して時間もかかるまいと思い,ついついそちらに足を向けてしまった。

梅の宮は大麻山の中腹にある神社で,正式名は梅之神社という。ちいさな神社であるが,梅と産めを掛けて,安産の神社として知られているそうである。

梅之神社でひとり、おにぎりの昼食をいただく。小鳥の声が響き,気持ちの良い場所である。

梅之神社から別ルートで下り,元の道路に出る。それから麻坂(まさか)峠を目指して,ひたすら歩いた。

今日は疲れのすくないウォーキングであった。

(写真は大麻山の遠望である。道の横の畑では渋柿がたくさん実っていた)

(2020年1月6日 月曜日 晴れのち曇り)