椎尾長炭道2/境場


大桑池から種子の池まで

大桑池(おぐわいけ)は池の一端がダム状の大変大きな池である。その池のふちを進むと境場(さかいば)集落に出る。集落といっても,家は点在しており,一か所に集まっている訳ではない。道の進む方向に高さを増しており,そこに大規模な段々田がある。ひとつひとつの田の面積が大きく,また,きれいな長方形をしている。大規模な農地改良を行ったのであろう。家々もひとつひとつが大変立派な建て前をしている。

境場集落を過ぎると,峠のようになっており,そこからは下りである。峠で工事関係の人が一人立っている。こんにちはと挨拶を交わす。その人がいうには,この下の橋で舗装工事をしているので,注意して行ってくださいとのこと。分かりましたと返事し,分かれる。

下り道の左側は沢で,左右両側とも木が密集して茂っている。途中,一軒家があり,家の前に小さな畑がある。畑には野菜が植えられているから,今現在も住んでいるのは間違いない。山の中の一軒家,というテレビ番組を思い出す。

だいぶ下っても工事らしいものは見えない。本当に工事しているのかと怪しんでいると,前から小型トラックが来て,乗ってくださいという。どういうことか分からないまま,助手席に飛び乗ると,工事現場まで連れて行ってくれた。どうも私が余りにもゆっくり歩いているものだから,しびれを切らして迎えに来てくれたようである。私が来るまでは,工事を中断していたらしく,そのような雰囲気を感じたので,すみません,すみませんといいながら,工事現場の中を通過する。工事の方々も,口々にご迷惑をおかけしますといってくれる。すこし,気まずかったので,足早やに工事現場から離れる。

工事現場の橋はちょうど長谷の出会いのところに架かる橋であった。長谷からは,2車線の道路の脇を再び登る。車両がひっきりなしに横を通過するので,やや興ざめする。途中,西行法師の石像があったので寄ってみる。
まんのう町の標識があるところからもう少し登ると,池に出た。

10:30 大桑池 → 境場集落 → 11:00 長谷 → 西行法師の石像 → 11:30 綾川町・まんのう町の町界 → 11:45 種子の池


大桑池のほとりにはつぎのような境場の案内板があります。

境場(さかいば)

  長谷から兜(かぶと),そして境場へと続くこの道は,古くから剣山詣りや,大山(だいせん)詣り,また阿波からの商人の通った道であった。
  坂を登りつめると兜,そして境場の盆地が広がる。青空や山々を静かに写す水面は,大桑(おぐわ)池。俗におんぐゎん池と呼ばれるこの池には,おもしろい話が残っている。

  昔,兜に「かぶと衛門(えもん)」という男が住んでいた。かぶと衛門は非常な大力であって,大きなとんが(唐鍬)三さらいで池を掘った。だから大鍬池といっていたのが大桑池になったというのである。池の下方には,百畝地(ひゃくぜまち)という田がある。これは持ち主が田の数を数えると一枚足りず,探したところタカラバチ(竹の皮の笠)の下に一枚あったなどという話が残っている程,小さい田ばかりのところであったことからこう呼ばれている。これもかぶと衛門がこしらえたのだと伝えられている。

  かぶと衛門についてはこの他にも,三斗三升のおはぎを一度に食べてしまったとか,千石船に積んだ米を帆柱にくくって持って帰ったとか,おならをしたら陶(すえ)の十瓶(とかめ)山まで響いた等という話が沢山残っている。
  境場というところ,どこから来ても山を登るか越してくる道である。
  そんな山道が平坦になり,人家があれば皆一服したであろう。かぶと衛門の話などはそんな時のかっこうな話題になったであろう。

昭和63年3月 香川県