遍照院


今朝は妻の体調が悪い。吐き気があるそうだ。妻に代わってゴミ出しと台所の片づけを行う。9時ごろになるとのすこし落ち着いた様子になる。妻にもう大丈夫と言われ,ウォーキングに出かける。

今日は遍照院周辺を歩いてみよう。遍照院は弘法大師が開いた寺で,かつては7万9千平方mの広大な境内を有していたが,南北朝期にこの地に南朝の陣を張り,戦さで北朝に破られたため,すべてが焼失した。今は小さな本堂が再築されている。

遍照院のあるあたりの地名を高野町というが,これは高野山に対し,女人往生の道場として高野山に倣ってつくられたためであるそうだ。

遍照院で般若心経を唱え,先に進む。高野町は白峰寺の入口でもあるが,そちらには行かず,隣接する雄山(おんやま)雌山(めんやま)を一周するルートを行く。

しばらく進むと神谷川の汐留水門に出合う。このあたりから風が強く吹いてくる。海の方向を見ると,遠くに瀬戸大橋と広島が見える。道には人も車も走っていない。

神谷川沿いに山すそをまわる。集落があるあたりで,集落の中の生活道路を進む。細い道の先に総社神社があった。りっぱな神社である。総社の名前の由来はつぎのようである。

昔,国司が都から各地方に派遣されたとき,国司の重大な仕事の一つはその地域にある神社をひとつひとつ廻っていくということであった。ところが神社はあまりにも多いため,それらをひとまとめにした総社神社というのを作って,そこに詣でればすべての神社に詣でたのと一緒になるというので,総社神社が作られたそうである。

総社神社を後にし,遍照院に戻る。

(2020年1月13日 月曜日 成人の日 晴れなれど風強し)

どんと焼き


明日は早朝に飯(いい)神社でどんと焼きが行われるので,昨年のお札や正月飾りを持って飯神社に行ってきた。今日中に持って行けば,神社の係の人がそれらを燃やしてくれる。

昨日は大水上(おおみなかわ)神社を訪れたおり,多くの杉の小枝が落ちていると嘆いてみたが,飯神社でも杉の小枝が多く落ちていた。正月前に氏子総出で境内を大掃除したはずなのに自然の力にはかなわないと思った。

妻と本殿や飯天神にお参りしていると我が家の近所の方が同じようにお札を持って来,お参りしていった。挨拶を交わす。

飯神社は静かである。私の小学校時代の同級生が土木業を営んでいて,彼が絵馬を飾る堂を昨年寄進していた。長男夫婦が正月詣でに来たとき,彼に会って話をしたそうである。絵馬を覗いていると,長男が書いたらしい絵馬が見つかった。

妻とゆっくり境内をめぐり,家に戻った。

しばらくぼんやりしていたが,そうだ,ダイダイのマーマレードを正月明けに作ろうと考えていたことを思い出した。庭にあるダイダイの木から20個ほどのダイダイの実を取って,妻とともにマーマレード作りに励んだ。一年ぶりの作業であったため,忘れていることが多く,妻と相談しながら作業を進めた。

私は現在食物繊維が食べられない身であるので,残念ながらマーマレードの試食をすることはできなかった。

(2020年1月12日 日曜日 曇りのち小雨)

高瀬町東部



今朝の新聞の香川県版に対照的な二組の夫婦の記事が載っていた。

一方の夫婦は県内在住の元教員の夫婦で,夫が数年前にALS(筋委縮性側索硬化症)を患っている。発病以前は夫婦で四国八十八か所を巡っていたが,途中でそれができなくなった。しかしもっと生きたいと願い,人工呼吸器をつける手術を受け,四国八十八か所巡りを果たしたという記事である。

もう一方は三重県から四国まで乗用車で来た夫婦が車もろとも海に飛び込み,自殺したという記事である。

妻にウォーキングの出発点まで車で送ってもらう道中,長年連れ添った夫婦でもいろいろな結末を迎える夫婦がいることを改めて語り合った。

今日のウォーキングは大水上(おおみなかみ)神社から開始して,お茶畑をのんびり巡ろうというものである。空は晴れ渡り,風はほとんど吹いていない。温かな日差しが気持ちよい。

大水上神社は水の神様を祀っている。神社の横を川が流れ,森がうっそうとしているので湿度が高い。狛犬や石碑はみな苔むしている。参道や境内には杉の小枝が積もるほど落ちている。神主さんが作業着で大きめの杉の小枝を集めていた。

本殿にお参りし,先に進む。

高瀬町の東部は丘陵地帯であり,どの道もちいさなアップダウンの繰り返しである。しばらく進むと茶畑が見えてきた。県内では比較的有名な茶の産地である。どの斜面にも茶の木が植えてある。

茶畑の上には高い位置にファンがしつらえてある。霜を予防するためのファンであるそうだ。

茶畑の間を普通の人の2倍くらいの時間をかけて,ゆっくり巡る。ほんとうにのんびりした気分になる。

茶畑を過ぎると,妻との待ち合わせ場所まで急ぐ。

(2020年1月11日 土曜日 晴れ)

二枚の写真

今日は午前中病院に行き,午後はお寺の報恩講に参加した。

報恩講のお経が終わり,2名の方がお寺への納骨のお経を個別にあげてもらっていた。たまたま聞き耳を立てているとそのうちの1名の方が我が家の遠い本家筋に当たることに気がついた。地域の共同墓地にあるお墓を墓じまいするということは前に聞いていたが,今日お寺に納骨のお経をあげてもらう偶然に驚いた。その方と短い挨拶を交わし別れたが,今日報恩講にお参りできてよかったねえと妻と語り合った。このような偶然はなにかの取り計らいかもしれないと思ったものである。

最近妻が二枚の写真を飾ってくれた。両方とも私と妻の若いときの写真である。

一枚目は私と私の友人および妻で,仙台市近辺の面白山(おもしろやま)に登ったときの写真である。そのころ私の友人が写真に凝っていて,私と妻が山頂の草むらで並んで座っている写真である。

妻はショートカットの頭髪をしていて,最初に出会ったときと同じ様子である。

二枚目は妻が初めて四国まできたときの写真である。私と妻は金毘羅山にお参りにいった。絵馬堂に大きな鏡が置いてあって,鏡越しに撮った記念写真である。妻はおさげ髪をしている。若い妻の写真が懐かしい。

妻は越後の産で,しかも一人っ子であった。だから私と妻が付き合うことにはいろいろな反対の声があったが,そのころ私はあまり空気を読まなかったのかもしれない。

遠く四国まで引っ張ってきたが,よくぞついて来てくれたと感謝の気持ちしかない。妻の両親の心配や苦痛は今になってわかるのである。

(2020年1月9日 木曜日 晴れ)

今は朝の5時である。4時ごろ目が覚めて,眠れなくなった。外では雨の音がせわしない。久しぶりに屋根にたたきつける雨の音を聞いた。

孫のことを考えつつ,ぼんやりパソコンに向かっている。孫自慢は人の本道ではないと思っている。なぜなら,法句経にもつぎのような詩があるからである。

  法句経 六二

  「我に子等(こら)あり
   我に財(たから)あり」と
  おろかなる者は
  こころなやむ
  されど、我はすでに
  我のものに非ず
  何ぞ子等あらん
  何ぞ財あらん

だけど,やはり孫はかわいい。

一人目の孫ができたときは,最初どのように接していいのかと戸惑った。しかし,二人,三人,四人と毎年のように孫に恵まれ,妻と孫がキャアキャア言いながら遊んでいるようすを眺めていると,いとしさは増すばかりである。

自分の子等にも笑いながら接した記憶が乏しいのに,孫が来るとどうしても笑顔いっぱいになってしまう。

妻とほんとうによい晩年を迎えられたものだと話している。

今日は10時から病院でCTの撮影がある。みぞおちあたりのムズムズ感もなく,体調はよい。今日一日,良い日でありたい。

(2020年1月8日 水曜日 雨)

大麻山山麓


朝10時ごろ,妻が「今日は日差しがあったかいよ。外に出てみな」といってくれた。それで近くを散歩でもしようかと思っていたが,だんだんウォーキングに行きたいという気持ちが強くなった。それで急遽(きゅうきょ)計画を立て,ウォーキングに出かけた。

今日は神社仏閣には寄らないことにしようと思い,大麻山(おおさやま)の山麓をのんびり巡ることにした。結果として,ひとつ神社に寄ることにはなったのだが。

大麻山は細長い台形のかたちをした山である。今日のコースは大麻山の西の山麓をめぐるものである。山麓を結ぶ道路が1本走っていて,交通量も多くない。このコースならばのんびり行けるのでは思ったのである。

コースの開始点まで妻に車で送ってもらい,出発した。

道路は適度に坂の登りと下りがあり,変化に富んでいる。道路の両側には畑と竹林がある。畑ではキャベツや唐辛子の収穫をしている家族の横を通り過ぎると,あたたかな黙礼をしてくれる。こちらもこんにちはと挨拶を返す。

このあたりの竹林は手入れが行き届いていて,いままでに見てきたどの地域の竹林よりもすばらしい。地面に竹の残骸がなく,ひとつひとつの竹が広い間隔で生えている。このようになるには相当の手間が必要であったに違いない。

山里のよい雰囲気を味わえた。

しばらく進むと梅の宮1kmというちいさな看板が出ていた。進行方向とは異なり,山の方に矢印が向いている。どうしたものかとすこし思案したが,1kmならば往復しても大して時間もかかるまいと思い,ついついそちらに足を向けてしまった。

梅の宮は大麻山の中腹にある神社で,正式名は梅之神社という。ちいさな神社であるが,梅と産めを掛けて,安産の神社として知られているそうである。

梅之神社でひとり、おにぎりの昼食をいただく。小鳥の声が響き,気持ちの良い場所である。

梅之神社から別ルートで下り,元の道路に出る。それから麻坂(まさか)峠を目指して,ひたすら歩いた。

今日は疲れのすくないウォーキングであった。

(写真は大麻山の遠望である。道の横の畑では渋柿がたくさん実っていた)

(2020年1月6日 月曜日 晴れのち曇り)

十二指腸閉塞

いよいよ十二指腸の閉塞が現実のものになりつつある。すい臓にできたガン細胞が十二指腸あたりでも増殖して食べ物の通りを塞いでいるのである。

昨日は弟夫婦が家に寄ってくれ,楽しい会話をしたが,途中で気分が悪くなり寝込んでしまった。寝れば治ると思っていたのに,お腹の調子がだんだん悪くなった。最初は吐き気をもよおしていたのに夜中の3時ごろ,お腹が急に痛くなり,これはかかりつけの病院に急患で行かなければと思う程になり,トイレでバケツを抱えて唸っていると,急に吐き気がして大量の胃液を吐いた。自分でも驚くほどの量であった。

吐いてしまうとお腹の痛みもなくなり,吐き気も気にならなくほど和らいだ。

妻が気が付いて,起きて来てくれた。しばらく妻と台所で会話する。

8日にCTの撮影があり,9日に診察がある。そのときには閉塞に対する処置について話すことになろう。

閉塞に対する処置には手術で十二指腸をバイパスする道をつける方法と,十二指腸内にステントを入れる方法の2種類がある。いずれになるにしろ,再び入院である。

それまでは食べ物に気を付けて,無理をせず,静かに過ごそう。

(2020年1月4日 土曜日 曇り)

筆ノ山一周


妻の食事管理が行き届いていたのか,今日は十二指腸あたりの調子が良い。天気も晴れ渡り,風もない。ウォーキングにはとっておきの日である。正月の初詣に行くかわりにウォーキングに出かけた。

12時少し前,善通寺市の大塚池まで軽トラックで行き,そこから筆ノ山,香色山(こうしきやま)を反時計回りに一周した。

大塚池は池の中央に大きな石の固まりがある。古墳の跡である。通常,石室の上には土が覆っているが,大塚池を作ったときに古墳の土を取って堤防にしたらしい。だから今では石室がむき出しで池の中央にある。

大塚池の駐車場から大坂峠の方に進む。大坂峠は筆ノ山と我拝師山(がはいしざん)への登山口になっている。大坂峠への登り道にはイノシシ出没注意の看板が立っている。小さな山なのにイノシシが多く生息しているのであろう。

これらの山々からはカラスの鳴き声がうるさいほど響き,小鳥のささやきを消し去っている。カラスにも丁度良いねぐらなのかもしれない。

大坂峠でしばし休んでいると,筆ノ山から下山し,引き続いて我拝師山に登る女性ハイカーに出合った。こんにちはと挨拶を交わす。

私は山には登らず,筆ノ山の山すそ沿いの道を進む。遠くに大麻山(おおさやま)が見える。ここから見る大麻山はとんがり帽子のかたちをしていて,いつも見る平べっちゃいかたちと異なる。

道を進むと,香色山のふもとの大師堂に辿り着く。小さな庵である。ここで持参してきた般若心経の経本を開き,般若心経を唱える。誰もいないのを幸いに,少し大きめの声で唱える。

香色山には山麓沿いにミニ八十八か所があり,丁度大師堂の横に68番の石像が立っていた。ここから,1番まで逆方向にミニ八十八か所を回っていく。

ひとつひとつの石像の前で南無阿弥陀仏を3回唱える。回っている間に散歩する市民の方々何名かに出合った。

善通寺の駐車場の前まで行くと,初詣の客で混雑している。なるべく人影を避け,静かな道を進む。途中,くたびれてしまって,何度も立ち止まって呼吸を整えてから進む。午後3時に駐車場に辿り着く。約3時間のウォーキングであった。

(写真は大師堂である)

(2020年1月2日 木曜日 晴れ)

今年の目標

昨夜は久し振りに紅白歌合戦を最後まで見て就寝した。退院してすぐに吐き気をもよおしていたのが治り,調子よくなっていたためである。

吐き気を起こした原因はいくつか思い当たる。入院中は低残渣食で徹底的に食事が管理されていた。退院してからも妻に入院時の食事を念頭に作ってもらったのであるが,やはり抜けというかあまいところがあった。

思い当たる原因は4つあって,一つ目はスパゲッティの麺である。病院でもスパゲッティの麺らしいものが出ていたからこれは食べられると妻ともども思っていたのであるが,インターネットで調べるとスパゲッティは注意が必要な食品に含まれるそうである。病院で出されたものはスパゲッティ風うどん麺だったのかもしれない。

二つ目はゆで卵である。卵でもゆで卵はダメで,卵の黄身と白身を溶きほぐした卵焼きはオーケーである。

三つ目はおでんに入っていた昆布である。昆布が柔らかくなっていたため大丈夫と思ってしまったが,海藻類は全般にダメである。

四つ目は餡入り餅である。餅自体はオーケーなのだが,餡は小豆(あずき)から作られており,小豆などの豆類は全般にだめなのである。

このようにちょっとした油断から体調が不良になる体になってしまった。それで今朝,まだ日が出ないくらいのうちに目が覚め,うつらうつら今年はどのように生きたらよいだろうと考えていた。

3ヶ月以上の未来は予想できないため,まずは3ヶ月元気でいようと思った。ウォーキングにも何度かいってみたい。そのように考えつつ,新年を迎えたのである。

(2020年1月1日 水曜日 晴れ)