繋がる

鼻と喉の炎症がずっと続いていて,特に寝ているときに苦しかったのが,今朝はだいぶよくなって自分でもよく眠ることできたような気がする。普通に眠れることがほんとうにありがたいことだと思った。

岸政彦の「図書室」という本には「図書室」という小説と「給水塔」という自伝的エッセイが収められている。それぞれの文章のなかのちいさなエピソードはおなじくらいの濃さのある話になっているのに,一方は実(み)のある話に聞こえ,一方の話は実のない話に感じるのはどうしてだろうと考えていた。

もちろん小説の方がよく練れた文章で,エッセイの方は片手間で書いた文章だからといってしまえば身も蓋(ふた)もない。それで寝ているとき,もうすこし丁寧に考えてみることにした。

そうして出た結論はこうである。

小説のなかのちいさなエピソードは現在に繋(つな)がっているが,エッセイのなかのちいさなエピソードは現在に繋がっていないからではないかということである。

小説に出てくる40年前のエピソードは,忘れ去られてもいいくらいのエピソードであるのに,それが重要に思えるのは主人公の現在の生き方や考え方がそのエピソードと繋がりを持っていると読者に感じさせる文章になっている。

(2019年12月18日 水曜日 曇り)