老病死

十日町に行ったとき,私の不注意でもらった風邪が長引いて,なかなか治らない。昼間はあまり困らないのだが,寝ていると粘性のある鼻水が気管支の方に流れ込むようで,セキをしだすと止まらない。すこし気が遠くなって眠りに入っても,そのセキで目覚め,結局寝不足になるのである。今日はよくなるだろうと期待していたが,まだ用心した方が良いと思い,せっかくの孫の生活発表会には行けなかった。孫が張り切っていたから,残念である。

今日の新聞に山折哲雄さんが「老病死」について書いている記事を見つけた。「心臓死」のような時間的な点の死でなく,時間幅のあるプロセス死を考えようという記事であった。死をプロセス死ととらえると,どのような話の展開になるのかは今日の紙面からは読み取れなかったが,来週の記事を楽しみにしよう。

死について,私のなかで最も感動的なものとして残っているのは妻の父親の死である。義父はがんの病に侵されていたが,死ぬまで私たちの家で私たちといっしょに暮らすことができた。それには妻の深い愛情があったためであろうと,今は振り返って思う。

義父はある夜,就寝中にひっそり息を引き取ったのであるが,その瞬間はだれも気付かなかったように思う。妻が気づいて,亡くなったことが分かったが,妻が「まだ,夜中だから,皆でお父さんの横で寝てあげよう」といってくれ,子供も含めた私たち3名か4名かは義父のそばに布団を敷き直して,寝ていたのである。

空が薄あかいろになり,私たちは静かに起き出した。そのときは互いに声を交わすこともなかったが,皆が義父の死を静かに自分の心に受け止め,悲しむこともなかった。

義父も穏やかな死を迎えたと思うが,私たちも心を乱すことなく,それを受け止めることができた。

私の実父もがんに侵されて亡くなったが,そのときは,私は自分で悲しみを表現しようと夢中であったのではないかと思う。だから今考えると,もっと穏やかに死を受け止めてあげ,送り出すべきであったのではなかったかと思うのである。

(2019年12月14日 土曜日 晴れ)