宮之浦岳

五時すこし前に目が覚める。まだ外は暗い。日の出がだんだん遅くなるのを感ずる。

さて昔の山の話の続きである。屋久島の宮之浦岳には柔道部の友人2人と登った。九州時代の登山の集大成ともいうべきものであったと思う。列車で小倉から鹿児島まで行き,夜行のフェリーで屋久島に渡った。宮之浦港からすぐに山に入った。最近は安房から入るルートの方がポピュラーであろう。山を少し行くと白谷山荘という無人小屋がある。ここで最初の1泊をした。その当時も屋久島への登山者は多く,無人小屋なのに九州本土の避難小屋にはない賑やかさがあった。

つぎの日,峠を越え安房川の上流をさかのぼり,ウィルソン株,縄文杉などの屋久杉が多く見られるルートを進んだ。今は保護のため柵で囲まれている縄文杉の根っこで当時記念写真をとったのがのこっている。登っている途中,腕の皮膚に違和感があってシャツの袖をめくりあげるとヒルがすいついていたことを思い出す。

長い登りをおえてやっと宮之浦岳の頂上付近に到達したとき,周りは雲で真っ白であった。なにかおかしい,登っているはずなのに上り坂でないと気づき,道を間違えたかなあと思って引き返すと,道の途中で道に石が積まれている。これはこの道を進んではいけないという印だと思い,少し引き返した。ときどき雲が切れるとうっすら頂上が見えるところで頂上まで行かずに下ることを選んだ。

友人の一人が足を痛め歩きずらかったこと,疲れがピークに達していたこと,頂上が雲で覆われて見通しが全くなかったことなどが頂上登頂断念の理由であろう。そのときまったく残念な気持ちが起こらなかった。

ローソク岩下の避難小屋でさらに1泊し,つぎの朝長い下りを下って行った。永田という集落にある民宿でさらに1泊し,帰路についた。民宿では予約もなにもしていないのに,夕食を用意してくれて,感激したことを覚えている。

(2019年8月9日 金曜日 晴れ)