話を聞く力

今年の初めに3週間入院し,2週間一時退院して,その後再び3週間入院することがあった。入院の初期は自分のことで精いっぱいな状態であったが,だんだん日が経つにつれ,周りの状況をそれなりに見れるようになってきた。

私の入院時の病棟は私も含め,完治する見通しが少ない病気を抱えている人が多かった。そのため,4人の大部屋であったにもかかわらず,患者同士がそれぞれの病気について話題にするようなことは少なかった。皆,静かにベットで過ごし,会話は付き添いの人や担当医,看護師に限られていた。

私はそれまでに何回か,入院した経験を持っている。いままでの入院では退院するとその病気がほぼ完治するたぐいの病気であったから,患者同士で病気や治療に関する情報交換をしたり,世間話をした。その経験から,入院すると患者同士の会話が弾むものと思っていたが,今度ばかりは違っていた。私自身,同室の人に自分の病気の内容をあまり話したくないし,同室の人の病気の内容も医師や看護師との会話から聞くともなく聞いていると,大変重そうでとても聞けない。そのようで,病室は大変静かに時間が過ぎていった。

しかしながらときどき,熱心な会話が始まるときがある。

それは患者と看護師の間でのことである。状態が苦しかったりしたときや排尿などがうまくいかなかったときに看護師さんのやさしい言葉がひとつのきっかけになって,患者の半生が延々と語られる。看護師は忙しいであろうに,「ふんふん」,「そうなの」と小1時間くらい,熱心に聞いている。このような光景は今までの入院体験ではあまりなかった。まさに堰を切ったというたとえのごとく,しゃべり始めるのである。

人は窮地におちいったとき,誰かに自分の内情をしゃべらずにはいられないのかもしれない。また,看護師さんが億劫がらず,熱心に聞いている態度にはほどほど感心させられる。

私は長い間,教師をしていたが,生徒や学生から堰を切ったような内情の告白をしてもらった経験がない。それはもちろん,私にそれをさせることができる力がなかったからであるが,その力が如何に大切であるかは,今となってしみじみと感じている。

(2019年8月2日 金曜日 晴れ)