生存バイアス

入院する前は地元の図書館で一週間ごとに又吉直樹の新聞小説を読んでいた。今年のはじめに入院したときもその小説を読んでいたかったので,妻に毎朝,新聞を買ってきてもらい,新聞小説の部分だけ切り抜いて保存していた。いま読み返してみると,入院時の様子と新聞小説の内容がオーバーラップして,不思議な気持ちになる。

入院して1週間目くらいのとき,小説で早稲田大学の教授が女子大学院生に対しおこなったセクハラを題材にした文章が出てきた。それで暇に任せその事件のことをネットサーフィンして,生存バイアスという用語を知った。

生存バイアスという用語は学校における行きすぎたクラブ活動の指導を説明するときなどによく出てくる用語らしい。指導者が生徒や学生に過多な練習を強(し)いり,アクシデントが起きたとき,指導者はよく,「自分も現役のとき苦しい練習を経て,栄光を勝ち取った。だから,この練習方法は私の実体験に基づいているものであって,効果があるものと確信している」と言い訳する。しかし,この主張の中には,苦しい練習によって挫折した者がカウントされていない。うまくいった者のみをカウントしている。これを生存バイアスというようだ。

私は教員をしている間,不勉強にもこの用語に接する機会がなかった。

私は学生に卒業研究の指導をしているときに,学校で定められた卒業研究の時間を過ぎ,帰宅しようとする学生につぎのように言ったものである。「卒業研究は時間をかけなければ,いいものはできない。放課後も残って卒研したらどうだ。」

いま考えると,教師から与えられた分からないテーマ(それはたいてい面白くないテーマでもある)を前にして,学生は一刻も早く卒研という作業から逃れたいと思っていたであろう。私が本当にすべきことは,そのような苦情を述べることではなく,面白いテーマにして学生の前に提示することであった。

過去のいろいろな不出来の事柄が頭をめぐる。

(2019年8月4日 日曜日 晴れ)