エンパシー

ブレイディみかこの「ぼくはイエローでホワイトで,ちょっとブルー」(新潮社)を読んでいて,エンパシーという言葉に出会った。

エンパシーと同じような言葉にシンパシーというのがあり,どちらも日本語で共感と訳されるようであるが,意味は大いに異なる。

シンパシーは映画を見たり小説を読んだりしたときなどに,登場人物と自分が共にする,自然に湧きおこる感情であるのに対し,エンパシーはシンパシーの外側に横たわる感情である。自分がなにもしなければ,エンパシーの領域まで行きつけないが,何回も映画をみたり,頭でいろいろ考えたりするうちに,そうかと,ふと登場人物と共感する。その共感のことである。

著者はシンパシーを「感情」,エンパシーを「能力」と喝破したが,まさにそう考えると納得する。

本の中では,著者の中学生の息子がライフスキル教育という科目の中で,「エンパシーとはなにか」という試験問題を出され,息子が「自分で誰かの靴を履いてみること」と答えたという逸話が紹介されている。

人種や階級という多様性のある英国社会で,いかに相手を思いやれる能力が必要であるかを述べているのである。

(2019年11月30日 土曜日 晴れ)