法句経講義


今日は妻と病院に行った。マーカー値が増加気味なのは仕方ないが,他の数値は悪いなりに安定している。体調はいいから,これでよしとしなければならない。

図書館から友松圓諦(ともまつえんたい)の「法句経(ほっくきょう)講義」(講談社学術文庫)を借りて読んでいる。私は,最近は宗教の書籍を目にしないようにしているので,この本を私が借りたのは,私自身が驚いている。借りるまでのいきさつを以下に述べる。

テレビでブラタモリを何とはなしに見ていると,比叡山のようすを放送していた。去年の今頃,大津で大学時代のクラブのOB会があって,そのあと,友人と比叡山に行った。それがあったから,ブラタモリの内容に興味が湧いたのである。

私は比叡山の根本中堂を見学してその厳かさに感動して帰っただけであるから,比叡山の上っ面を見ただけにすぎない。ブラタモリでは比叡山にこもった僧がにない堂で修行する様子をリポートしていた。にない堂は常行堂と法華堂からなり,常行堂では念仏の修行を,法華堂では法華経の修行をするそうである。そこで,仏教は念仏と法華経からなっているんだなあと気づいたしだいである。

我が家の宗派は念仏の宗派であるから,念仏については親しみがあるが,法華経についてはなじみがない。そこで本屋や図書館で法華経について手短に紹介している本はないものかと探してみたが,どの本も大部なものばかりである。よく考えてみたら法華経そのものが大部なお経だから,それもしかたないことかもしれない。

そうこうしながら,本棚を見ていると上記の本が目に入ったのである。法句経とは聞きなれぬお経と思い,何気なしに本文をパラパラめくっていると,わかりやすい文章に出合った。

法句経はひとつが数行からなる小さな宗教詩を集めたお経らしい。「法句経講義」はそのお経の一部分をNHKラジオで昭和9年に放送した,その原稿をまとめたものである。だから文章がこの上もなくわかりやすい。

「法句経講義」に紹介されている宗教詩のうち,つぎの詩が気に入った。このような気分でウォーキングに励みたいと思った。

法句経 四十九

花びらや色や香を
そこなわず
ただ蜜味(あじ)のみをたずさえて
かの蜂(はち)のとび去るごと
人の住む村々に
かく牟尼尊(みひじり)は歩(あゆ)めかし

(写真は工事中の根本中堂入口である)

(2019年11月21日 金曜日 晴れのち曇り)