エンパシー

ブレイディみかこの「ぼくはイエローでホワイトで,ちょっとブルー」(新潮社)を読んでいて,エンパシーという言葉に出会った。

エンパシーと同じような言葉にシンパシーというのがあり,どちらも日本語で共感と訳されるようであるが,意味は大いに異なる。

シンパシーは映画を見たり小説を読んだりしたときなどに,登場人物と自分が共にする,自然に湧きおこる感情であるのに対し,エンパシーはシンパシーの外側に横たわる感情である。自分がなにもしなければ,エンパシーの領域まで行きつけないが,何回も映画をみたり,頭でいろいろ考えたりするうちに,そうかと,ふと登場人物と共感する。その共感のことである。

著者はシンパシーを「感情」,エンパシーを「能力」と喝破したが,まさにそう考えると納得する。

本の中では,著者の中学生の息子がライフスキル教育という科目の中で,「エンパシーとはなにか」という試験問題を出され,息子が「自分で誰かの靴を履いてみること」と答えたという逸話が紹介されている。

人種や階級という多様性のある英国社会で,いかに相手を思いやれる能力が必要であるかを述べているのである。

(2019年11月30日 土曜日 晴れ)

湯たんぽ

一昨日から体調が悪い。

一昨日朝,ふとんの中で何気なしに歯を一本一本指でさわっていると,奥から二本目の歯に痛みを感じた。歯ぐきと歯の境を指のつめでおすとその歯だけ違和感があるのである。上の歯だから,鏡で見てもよくわからない。

なにはともあれ,その日のうちに歯科医院に電話し,その日の予約を取る。前の勤務先のちかくのその医院は自宅から小1時間かかるが,もう30年以上通っているから,退職してもその医院にいっている。

その歯だけのレントゲンと歯並び全体のレントゲンを撮って調べてもらうが,何の異常もないという。異常がないのは結構なことであるが,やや釈然とせず帰宅する。その日の夕方,38度4分の熱が出る。これは一大事と,布団に潜る。

みぞおちあたりがムズムズするうえ,下半身がやけに冷たい。妻に湯たんぽを出してもらい,両足を温めながら,寝入った。このときほど,湯たんぽのありがたさを思ったことはない。

朝起きて,熱を測ると36度7分まで下がっている。熱についてはすこし安心したが,力を入れて寝たせいか,背中の骨々が痛い。インフルエンザかもしれないと妻と話しつつ,近くの内科医院に行く。診てもらったところ,インフルエンザではなく,胃腸炎ではないかという話であった。

朝,昼とお粥を食べて用心していたのに,すこし気分が良くなり,妻が買ってきてくれたミカンを寝床で2,3個食べる。それが良くなかったのだろう。夕方,胃の内容物をもどした。

それからは湯たんぽを抱いて寝るばかりである。

今日になって,ようやくよくなった。

(2019年11月28日 木曜日 曇り)

神谷神社界隈


昨日の新聞に神谷(かんだに)神社の記事が載っているのを妻が教えてくれた。その記事によると,香川県内の国宝は本山(もとやま)寺の本堂と神谷神社の本殿の2つしかないそうである。神谷神社についてはいままでまったく知らなかった。場所的には,五色台の坂出側山すそにある。

そこで急遽,神谷神社に行くことにした。今日の大きな目標は2つある。1つ目は神谷神社を訪問することである。2つ目は浄土真宗の寺にいく折りには本堂の前で正信偈を読み上げることである。正信偈とは浄土真宗系の門徒が唱えるお経みたいな文書である。そのことを妻に話すと,家でもそんなこと,したことがないのにどういう風の吹き回しなのかと疑問を呈したが,まあ,なんとなくしてみたいのである。本山寺に行ったとき,お遍路さんが唱えるお経の声に影響を受けたのかもしれない。

清立(せいりゅう)寺の,道を挟んだ反対側にある駐車場に車を止め,まずは清立寺にお参りする。清立寺は浄土真宗のお寺なのでここで正信偈をあげようと算段していたが,本堂にお参りすると中から門徒らしき人々の賑やかなお経を唱える声がする。それで,この寺で正信偈を唱えるのはあきらめた。清立寺は大きくて,掃除の行き届いたりっぱなお寺であった。

清立寺から神谷神社までは直ぐである。神谷川に沿ってさかのぼると,神谷神社の拝殿に行きつく。苔むした狛犬がいい雰囲気を醸し出している。拝殿から見る本殿は遠くてよく見えない。本殿の周りは塀で囲っているから,本殿に近づくことはできない。裏にまわり,塀越しに本殿の屋根を眺め,国宝を堪能する。

神谷神社から東鴨神社に行く道の途中で,岩屋寺の登り口を示す石碑がたっていた。地図を見ても,それらしいお寺は見当たらないが,時間的に余裕があったので,岩屋寺に寄り道することにする。道ばたには小さな緑色の小鳥が群れをなして,トゥルトゥルという声をあげて鳴いている。家に帰って妻にその小鳥のことを話すと,それはメジロではないかという。

岩屋寺は山の中腹にあった。弘法大師が開いた遍照院の末寺で,大きな岩の下に掘り抜いた洞窟に本尊が安置されていた。ちょうど,本尊の前に信者の拝む場所が用意されており,そこに般若心経があったので,般若心経を読み上げた。気持ちが安らかになる場所である。

岩屋寺から山を下り,東鴨神社に行く。東鴨神社は地域の氏神様を祀った神社である。そこで昼食のおにぎりを食べていると,母親と二人の子供たちがやってきた。子供たちが「こんにちは」と元気な声であいさつをしてくれる。私も笑顔であいさつをかえす。のびやかな子供たちである。

東鴨神社の近くにある正蓮(しょうれん)寺もりっぱなお寺であった。この寺は我が家の宗派と同じ寺であるので,本堂で正信偈をはじめて唱えた。

ブロッコリーやレタス,人参が植えられた広い畑のあいだの農道を進み,犢山(うしのこやま)天満宮を経由して,駐車場に戻る。疲れたが,気分のよいウォーキングであった。

(写真は塀の外から取った神谷神社本殿の裏側である)

(2019年11月23日 土曜日 曇りのち晴れ)

法句経講義


今日は妻と病院に行った。マーカー値が増加気味なのは仕方ないが,他の数値は悪いなりに安定している。体調はいいから,これでよしとしなければならない。

図書館から友松圓諦(ともまつえんたい)の「法句経(ほっくきょう)講義」(講談社学術文庫)を借りて読んでいる。私は,最近は宗教の書籍を目にしないようにしているので,この本を私が借りたのは,私自身が驚いている。借りるまでのいきさつを以下に述べる。

テレビでブラタモリを何とはなしに見ていると,比叡山のようすを放送していた。去年の今頃,大津で大学時代のクラブのOB会があって,そのあと,友人と比叡山に行った。それがあったから,ブラタモリの内容に興味が湧いたのである。

私は比叡山の根本中堂を見学してその厳かさに感動して帰っただけであるから,比叡山の上っ面を見ただけにすぎない。ブラタモリでは比叡山にこもった僧がにない堂で修行する様子をリポートしていた。にない堂は常行堂と法華堂からなり,常行堂では念仏の修行を,法華堂では法華経の修行をするそうである。そこで,仏教は念仏と法華経からなっているんだなあと気づいたしだいである。

我が家の宗派は念仏の宗派であるから,念仏については親しみがあるが,法華経についてはなじみがない。そこで本屋や図書館で法華経について手短に紹介している本はないものかと探してみたが,どの本も大部なものばかりである。よく考えてみたら法華経そのものが大部なお経だから,それもしかたないことかもしれない。

そうこうしながら,本棚を見ていると上記の本が目に入ったのである。法句経とは聞きなれぬお経と思い,何気なしに本文をパラパラめくっていると,わかりやすい文章に出合った。

法句経はひとつが数行からなる小さな宗教詩を集めたお経らしい。「法句経講義」はそのお経の一部分をNHKラジオで昭和9年に放送した,その原稿をまとめたものである。だから文章がこの上もなくわかりやすい。

「法句経講義」に紹介されている宗教詩のうち,つぎの詩が気に入った。このような気分でウォーキングに励みたいと思った。

法句経 四十九

花びらや色や香を
そこなわず
ただ蜜味(あじ)のみをたずさえて
かの蜂(はち)のとび去るごと
人の住む村々に
かく牟尼尊(みひじり)は歩(あゆ)めかし

(写真は工事中の根本中堂入口である)

(2019年11月21日 金曜日 晴れのち曇り)

法軍寺界隈


今日は生(なま)あったかい風が西から吹く。飯山図書館から借りた本がなかなか読めなくて,もう返却しようと思うが,今日はあいにくの休館日である。綾歌図書館は開館しているようなので,今日は飯山図書館まで本を返しにいくついでに,綾歌図書館まで散策しようと思う。

飯山図書館から綾歌図書館までの田園地帯は法軍寺(ほうくんじ)という。昔,法勲寺という大きなお寺があったので,その名前が地名として残った。

飯山図書館から南に進むと,王子神社という小さな神社がある。その神社の境内には大きなセンダンの木がある。センダンは千珠(せんだま)から付けられた和名だそうである。実の付き方がそのような形になっている。千珠にちなんでか,丸い石が多くセンダンの木の前に祀られている。このような祀り方は初めて見るものであり,珍しい。

県道22号線を渡って,細い路地を進むと古法勲寺跡がある。その敷地の一部に法勲寺という新しい寺が建っている。浄土真宗の寺のようである。お参りしに境内を行くとそこの住職さんとその友人らしき人に声を掛けられ,しばし談笑した。その住職さんは二代目だそうで,先代の方がその地にこのお寺を建てたらしい。住職さんのおかみさんも出てくれて,4人で話が弾んだ。今日一日の最高の一期一会であった。

法勲寺から先には3つの神社が隣接している。讃留霊王神社,八坂神社,八幡神社である。中でも,八坂神社,八幡神社はたいへん立派な神社である。地域の人々の両神社に寄せる思いが伝わってくる。

飯山南小学校のわき道をとおって県道438号線の方に進む。県道がカーブしたあたりに今日二カ所目の王子神社がある。王子神社の名の由来はなにであるのだろうと考えつつ,先に進む。

東論寺をすこし進んだ道端に東論寺大師井戸という石碑が建っている。その山際を望みこむと草むらに水場らしいものが見えた。

仁池の堤まで来ると綾歌図書館まではもう少しである。仁池の堤の上に飛渡神社という朽ちかけた神社があった。

さらに進むと諏訪神社がある。諏訪神社の先に,すこし坂を登ると専立寺がある。たいへん大きな本堂である。本堂の前で南無阿弥陀仏を唱える。

(写真は最初の王子神社の千珠の石である)

(2019年11月18日 月曜日 晴れのち曇り)

月の満ち欠け

佐藤正午(さとうしょうご)の「月の満ち欠け」(岩波文庫的)を読んだ。人の死が別の人の生に記憶とともに引き継がれるという話である。最初はミステリータッチの展開で興味をそそられるが,中ほどから登場人物が多くなって混乱する。最後はうまく話を収(おさ)めており,それなりの読後感を得る。

このような話が現実に起こるとは思えないが,それと似たような話を昨夜,妻がし,この小説に私の気持ちが戻ったのである。

昨夜,末っ子夫婦と食事会をした。たいへんおいしい店の食事を楽しみながら,さまざまな話題を暖かい気持ちで話し合った。いい雰囲気でいつまでも話をしていたい気がした。その会話な中でのほんのちょっとした妻の一言が頭に残った。それは私の若いころにかかった大病のことである。

その話については,いままでいくども話題にのぼり,いささか陳腐な話題のひとつであったのだが,昨夜は私の祖母の長寿と関連づけて,命のバトンタッチの話になった。それは妻の単なるその場限りの思い付きの言葉であったと思うのだが,それが佐藤正午の「月の満ち欠け」と重なり合って,頭に残ったのである。

祖母の夫は50歳前後の年に亡くなった。私はその祖父が亡くなった後に生まれているので当然,祖父の面影は知らない。祖父が短命だったのとは正反対に祖母は100歳を全(まっと)うし,大変な長寿であった。妻は祖父の命が祖母の命を長引かせたといったが,その言葉は私も妻も,口から出まかせの軽い言葉であると受け取っていたのである。ところが,私が若いころの大病で生き永(なが)らえたのも,誰かの命のバトンタッチかもしれないといったのが私の頭に残った。

私の両親も60,70代でなくなり,もう少し長生き出来ていたのかもしれない。だけど,その命を若い私が受け取って,病気を克服したのだという気持ちになった。もちろんそのような考えは荒唐無稽(こうとうむけい)なもので,私自身,こじつけの,何物でもないものと思っているが,すこししんなりとした気持ちになったのである。

私も平均寿命を全うすることはない予定である。だけど私の命が誰かの長寿や大病の回復に寄与できると考える考え方は私自身の気持ちを安らかにできるなあとしみじみ思ったのである。

(2019年11月17日 日曜日 晴れ)

本山寺から本門寺へ


昨夜の冷たい少雨の天気模様がうそのように,今朝は晴れ渡り風がない。気温はやや低いがウォーキング日和である。昨夜から,図書館に置いてあった讃岐歩こう会のパンフレットを眺めていて,本山寺(もとやまじ)から本門寺(ほんもんじ)へのコースに興味を持っていた。それで,今日はそのコースを歩いてみることにする。

豊中町のYouMeタウンの駐車場まで,妻に車で送ってもらい,本山寺に向かう。本山寺は70番札所であるが,他の札所と比べても重曹な構えの寺である。入った途端,その趣に驚くほかない。

集団でお参りに来ているお遍路さんの,調和がとれて奥ゆかしいお経の声を聴きながら,境内をめぐる。五重の塔がきりっと立っている。本堂はずっしりと構え,何事も受け止めてくれるようである。

雰囲気を堪能して,本山寺を後にする。

つぎの目的地は宇賀神社である。途中,本山小学校の横を通りすぎる。体育館の中から子供たちの歌声が聞こえる。体育館の入口が1mほど空いていて,道から中を覗き込むと7,8名の生徒が舞台で合唱の練習をしている。しばらくその歌声を聞いていた。いい雰囲気の合唱であった。

宇賀神社に行く道を間違え,少し遠回りする羽目になったが,なんとか辿り着く。宇賀神社は地域の神社としてはたいへん立派な神社である。広い境内は祭りのとき,神輿や太鼓台であふれるのであろう。

この神社にはどぶろくの製造法が伝わっているらしく,本殿の廊下にはどぶろくを作る桶が多く干してあった。

宇賀神社を後にし,国道を渡って,権兵衛神社に行く。本殿にお参りし,先に進む。

小高い森のふちを辿り,大師堂に向かう。途中,鉄道の踏切があり,踏切を渡って少しすると特急列車が走っていった。

大師堂の途中に蓮臺寺(れんたいじ)という小さいがきれいな寺があり,お参りする。真言宗の寺であるので,あるいはこの寺が大師堂を管理しているのかもしれないと想像してみる。

大師堂は中に弘法大師の石像やほとけの石像を数体安置している堂である。日常的に地域の人々が毎日お参りに来ているらしく,アットホームな雰囲気である。私も負けずにお参りする。

大師堂から宗吉瓦窯跡に進む。立派な展示館が作られている。入場料は100円であるが,65才以上は無料という掲示を見て,入ることにした。客はおらず,受付の人が専属で説明してくれた。

すこし疲れを感じつつ,本門寺に向かった。

(写真は本山寺の境内の様子である)

(2019年11月15日 金曜日 快晴)

四国カルスト


早朝から空には雲ひとつない晴天である。新潟から友人が訪ねてくれたので,今日は妻と友人の3人で四国カルストまでドライブすることにした。

高速道路をとおり,私の運転で高知の須崎まで行く。そこから妻に運転を代わってもらい県道197号線,439号線,304号線を進む。県道にはいると山あいの雰囲気がでてき,すてきなドライブになる。

いくつかのトンネルを抜け,道のはたにそびえる峰を眺めていると,何機のも巨大風車が白い羽を広げている。風車にちなんだ道の駅があり,雰囲気を盛り上げている。

県道304号線は車1台がやっと通れるほどの狭い県道であるが,それに続く林道に出ると道幅が広くなり,通りよい。

峰まで車で上がると見通しの良い風景になった。四国カルストの入口にあるカルスト学習館でパンフレットをもらい,用を足す。説明してくれる人が1人おり,親切にいろいろ教えてくれる。

峰に沿った道路を進むと小さなトンネルがあり,そこを抜けるとカルスト台地が目の前一面に広がっている。1000mを越える峰であるのに,今日はすべてが青空である。雲ひとつなく,風も吹いていない。車が数台止められる駐車場に車を置き,しばしの散歩を楽しむ。

妻が太平洋はどちらかなあと尋ねるので,大まかな方向を示すが,そこには海は見えない。岸辺まで山々が続いている。高知の山の深いことが一目でわかる。あの山並みのあいだを四万十川が悠々と流れているのであろう。

カルストの岩々はまるで人が群れているようだ。白い岩肌が黄色くなった草原のあちこちに見える。

天狗荘のさらに向こうの峰の上に青い建物らしきものが見える。なにかなあと皆で思案した挙句,あれは石灰岩を採取する工場の建物であろうと想像する。

地芳峠(じよしとうげ)を通り,松山の方面に下る。狭く,くねくねうねった道を進み,大急ぎで松山市内に向かう。鯛めしを所望するためである。かどやという鯛めし屋に行き,宇和島の鯛めしと松山の鯛釜めしを食す。宇和島の鯛めしは卵入り汁に薄く切った鯛の刺身を混ぜ,白ごはんにかけるものである。妻と私でいっしょに一善の鯛めしを食べていると瞬く間にごはんがなくなり,妻がお代わりをリクエストする。

まったく楽しい昼ごはんであった。

(2019年11月12日 火曜日 快晴)

雲辺寺


本日は朝から晴天である。気温はやや低いが散歩にはうってつけの日である。どこかに行きたいなあと考えていて,ふと雲辺寺の森が頭に浮かんだ。雲辺寺には何度か行ったことがあるが,森の散歩はしたことない。早速用意し,出かけることにした。

自分の体力を考えて,登らないコースを設定した。栗井ダムの駐車場に車を置き,そこから歩いてロープウェイの山麓駅まで行く。ロープウェイで雲辺寺の山頂まで行き,そこから遍路道を下って栗井ダムまで帰るコースである。

山麓駅まで行く道の途中に多目的保安林がある。散歩するコースをこしらえてあり,面白そうであるが,どうも利用する人がいないようで,道が草で覆われ荒れ果てている。

ロープウェイの山麓駅に着くと,平日の朝であるのに思っていたより多くの人がいた。半数はお遍路さんの衣装を着けている。

ロープウェイの後部座席に座り,眼下の景色を楽しむ。ロープウェイから見る景色はいつ来てもすばらしい。深い森が視界一面に広がっている。

雲辺寺で大師堂と本堂にお参りし,阿讃縦走路の方面に進む。すこし行くと木のベンチがあったので,おむすび一個の昼食をとる。遍路道を登って来たらしい女性登山者に会い,こんにちは挨拶を交わす。ベンチに座っていると寒さが体にしみこみ,すこし震える。

ここから栗井ダムを経由し,大興寺に至る遍路道は四国のみちにも指定されており,よく整備されている。下っていると下から遍路衣装の参拝者が登って来た。挨拶を交わす。

さらに進んでいると上から速歩の下山者が3名ほど私を追い越していく。そのうち2名は外国の人らしい風貌をしている。大きな荷物を背負い,遍路衣装をしているから歩き遍路であろう。やはり挨拶を交わし,道を譲る。

この遍路道はあまり景色に変化がないので,少々退屈である。途中,野生の柿の木が小さな赤い実をたくさんつけていたので,1個とってかじってみたが,渋柿であった。

まだ木々は紅葉していない。足がだんだん痛くなる。普通の登山者の2倍の時間をかけて,栗井ダムに到着した。

(写真はロープウェイから見た森である)

栗井ダム駐車場 9:45 → 多目的保安林 10:00 → 雲辺寺山麓駅 10:45 → 雲辺寺 11:30 → 昼食 → 阿讃縦走路分れ → ロープウェイ道分れ → 野生の柿の木 → 登山口 14:50 → 栗井ダム駐車場

(2019年11月5日 火曜日 快晴)