白峰根香道1/白峰寺


高屋口から十九丁まで

白峰根香道は八十一番白峰寺(しらみねじ)と八十二番根香寺(ねごろじ)を結ぶ遍路みちである。白峰寺と根香寺は,高松市と坂出市にまたがる五色台という台地のふちにある。300 m から 350 m の高台の上にあり,平野部からは急峻な山道を登らなければならない。白峰寺と根香寺の間は起伏の少ない山道である。

本日は曇り空で,風もやや強いが,明日から気温が下がるという天気予報であるため,今日行こうと決めた。妻に高屋口まで車で送ってもらう。

高屋口からしばらくは車道に沿って登る。坂を登ってしばらくいくと,簡易トイレが道の横に用意されており,これはありがたかった。私のように年をとると,体を少し動かさないと通じが来ない。だから,登り始めて少し経ったところにある便所は大変ありがたいのである。設置された山本建設さんには感謝申し上げるほかない。

直線の坂を登ると突き当りに高屋神社がある。そこにお参りし,先に進む。坂出方面の平野部を見ながら登っていると,「ミカン持って行かんかね」とご婦人から声を掛けられる。山からミカンを収穫してきたばかりの様子である。6個もいただく。ありがたいご接待である。

しばらく行くと,車道から白峰の白い岩肌が見えた。なるほど,白峰である。車道の脇に白峰大権現の扁額が掛かった鳥居がある。ここから,白峰寺への急峻な参道が始まる。参道の横にはさまざまな和歌の碑が立ち並んでいる。

参道を登りきると,崇徳天皇陵と白峰寺への分岐点に来た。崇徳天皇陵の方に登る。静粛といた趣の石段があり,その上に天皇陵があった。天皇陵に手を合わせ,白峰寺に向かう。

白峰寺では,お経を唱える声がスピーカーから流れている。お遍路さんはほとんど見かけない。静かな境内である。

白峰寺の入り口まで戻ると,遍路みちを行こうとする一人のご老人にあった。いわゆる同行二人(どうぎょうににん)の文字がある笠を被っているが,服装はハイキング風である。その方の後を追って,遍路みちを進む。

少し登ると,摩尼輪塔がある。ここからはしばらく平坦な山道が続く。左側に墓地がある。普通の墓地と異なり,石仏も多く設置している。白峰寺関係者の墓地か,あるいは途中で亡くなったお遍路さんたちの墓地かと想像してみる。

自衛隊の演習地の横を通り,先に進む。風が強くなる。この山に入って気づいたことであるが,小鳥の声はあまりせず,カラスの声ばかりが大きく聞こえる。これは飯野山に登ったときと,真っ反対のことである。飯野山では小鳥の声ばかりで,カラスの声は全くしなかった。カラスはこの山を寝床にしているのであろうか。

少し下りがあり,再び登ると,三差路の十九丁に着いた。

10:00 高屋口 → 高屋神社 → 白峰大権現鳥居 → 崇徳天皇陵 → 10:45 白峰寺本殿 → 摩尼輪塔 → 12:10 十九丁

(2018年12月7日 金曜日 曇り)


崇徳天皇陵前にはつぎのような案内板がある。

白峰御陵(しろみねごりょう)と崇徳上皇(すとくじょうこう)

白峰御陵は崇徳上皇の御陵(お墓)です。都から遠く離れたこの地に御陵があるのはなぜでしょう。

崇徳上皇は保元の乱(1156年)で武運つたなく敗れ,讃岐国に配流(はいる)されてきました。讃岐在住8年,46歳(1164年)で崩御され,稚児ヶ嶽(ちごがだけ)の崖の上で荼毘(だび)に付され御陵が築かれたのです。

ここ,白峰寺や坂出市中町,林田町などには,上皇にまつわる伝説や,ゆかりの土地が数多く残っています。

なかでも玉章木(たまずさのき)(ケヤキ)の伝説は有名です。この伝説は崇徳上皇とホトトギスとの交流を描いたものです。上皇の悲運の生涯に同情し,長い間人々に語り継がれてきたのでしょう。

鳴けば聞く 聞けば都の 恋しきに この里過ぎよ 山ほととぎす

2017年1月 香川県・環境省