飯野山一周


年賀状も書き終え,郵便局に投函してきた。もう,とくにすることもない。板屋界隈をぶらつきながら,図書館に行こうと考えた。

自宅を二時半に出,板屋方面に行く。板屋地区は土器川と飯野山に囲まれた地域で,建設会社や電気店などがあり,開けた地域である。飯野地区地域づくり推進協議会が定めたふるさと探訪案内にしたがってぶらぶら巡る。

高速道路の下をくぐり,土器川に沿って進むと庄屋堀がある。いまはそこに農業用の電動汲み上げポンプ小屋が立っている。そこから,土器川沿いの細い道をいくと宇賀神社,安良多岐(あらたき)神社の小さな祠が見える。家々の裏側にひっそりとあり,ほとんど訪れる人もいない様子である。

細道を戻り,道路を進んで,母子地蔵に向かう。母子地蔵の横に「仰げ日の丸護れよ皇國」の石碑がある。戦時中の時代のものであろうか。

母子地蔵から南にのびる道を進む。板屋常夜燈が道の右手に,若宮大権現の小さな神社が道の左手に見える。

府中街道を渡り,裏門から板屋神社に入る。板屋地区の氏神様である。境内は広く,りっぱな拝殿,本殿を有している。正門の鳥居の前はロープで柵がしてある。自動車を境内に駐車させないようにしているのであろうか。

柵の横を通り,道路沿いを進むと高柳前庵に出る。松永家の墓地が多く立っている。そこからは図書館も近い。広い道路を渡り,図書館に進む。

図書館に行って,はっと気づいてしまった。本日は月曜日で,休館日である。いつもは多くの車が止まっている駐車場に一台も車がない。さあ,どうしよう。このまま帰るのもどうかと思い,飯野山を一周して帰ることにした。

坂元神社には今まで一度も行ったことがないので,寄ってみることにする。飯野山のふもとにあり,急な石段を登ると坂元神社がある。思っていたより,りっぱな神社である。石段の入口に神社の由緒を記した石碑が立っており,家に帰って調べてみると,坂元神社は由緒のある神社のようである。

坂元神社からはひたすら歩いて自宅にもどる。

14:30 自宅 → 16庄屋掘 → 15宇賀神社・安良多岐神社 → 14母子地蔵 → 11板屋常夜燈 → 12若宮大権現 → 9板屋神社 → 8高柳前庵 → 図書館 → 坂元神社 → 三の池 → 17:00 自宅

(2018年12月24日 月曜日 曇り)


坂元神社の石段の前に置かれている石碑には,以下の文言がある。

輝く星の氏子われ -坂本神社由緒-

秋風そよぐ夕まぐれ,飯野の山は神さびて,星のまたたく宵なりき。国持の里,鵜殿の越し,五の坪,倉前,馬倒し,古き地名は今もなお,ここなしここに残れども,世の盛衰はいちじろく。高木屋敷はいずこにや。梅の香りはなけれども,星の輝く丘なりき。

南海治乱記(なんかいちらんき)によれば,鷲住王(わしすみのおおきみ)は履中(りちゅう)の帝の皇后の兄なり。父をX魚磯別王(ふなしわけのおおきみ)と云う人となり。腕力あり,軽捷(からわざ)にして遠く遊び,帝しばしば召せとも應ぜず。摂津,住吉また阿波宍喰(あわししくい)にあり。一男野根命を生む後,讃岐富熊郷に居住し,多くの少年之に従う。薨(こう)じて飯山西麓に葬る。里人,祠を建て,これを奉ず。飯山大権現また飯山大明神とも称す。その後,康保元年,菅公修造を加え,軍神となす。祈れば必ず勇力を賜ると。

初め王に男あり。高木尊と云い,讃岐国造に任ず云々と,日本書紀にもあり。

鷲住王もその跡も,遠い遙かの昔より,命に輝く天の星。小さいながら私らも,これにつながり生きる星。飯野の山を仰ぐ時,輝く星の氏子われ,氏子のわれらここに輝く。

昭和六十年六月吉日 香川県史編集委員 草薙 金四郎

Xの漢字は左が魚で,右が市の上点を取ったものである。