讃岐三崎灯台


讃岐三崎灯台がある荘内(しょうない)半島の先端部は,浦島伝説の地として知られている。そこには,生里(なまり),箱(はこ),不老浜(ふろま),糸ノ越(いとのこし)などの浦島伝説に起因する地名が残されている。

私は30年間,荘内半島の根元で勤務しておきながら,三崎灯台には今まで一度も行ったことがなかった。今日はすこし寒いが,昨夜からの雨も上がり,穏やかな日和である。軽トラックに乗って,三崎灯台に行ってみることにした。

荘内半島の先端部と根元部では文化,言語が全く異なるということを昔,知人から聞いた。その知人は大浜に里があり,詫間に嫁いだ人である。里と嫁ぎ先の距離は 2,3 km 離れている程度であるが,風習が全く異なっていたそうである。荘内半島先端部は瀬戸内海の文化圏に属しており,讃岐の文化圏には属していないからである。

生里(なまり)集落の道路脇に車を停めて,仁老浜(にろはま)集落に進む。道はアスファルト舗装で,以前来たときより,道幅が広がっている。集落内を進むと,手押し車を押して歩くご老人に出会った。こんにちはと挨拶をし,進む。浜の集落は決して新しい家があるわけではないが,寂れた感じがしない。港がすぐそばにあるせいだろうか。浜の片隅に公衆トイレがあったので,用を済ませ,岬道に入る。

道の両側は木々が茂り,木のトンネル状態になっている。枯葉の積もった道が続く。車の侵入は禁止されている道であるが,車一台が通れるほどの道幅がある。しばらく行くと室浜集落から来る道との合流点に来る。

さらに進むとどんどろ石という大きな石が道の脇にある。道は猪の掘り起こした個所がいくつもあり,多くの猪がこの地に生息していることをうかがわせる。

関の浦への分岐に来る。この分岐からは関の浦という浜辺に降りられるそうである。関の浦は今,人家はない。昔,この沖を通る船から通行税を採っていたところだそうである。また,この分岐から,三崎神社にも行けるが,三崎神社は後から行くことにし,三崎灯台の方に進む。

しばらく行くと,三崎灯台に出る。円筒状の灯台を想像していたが,箱状の灯台であり,すこしガッカリする。灯台の周りは木が茂っていて,見晴らしはもうひとつであるが,木々の間から,三崎の先端を通る船の数々を見ることができ,満足する。

妻の手作り弁当を食し,15分後,三崎灯台を発つ。

関の浦分岐から三崎神社に行く。古い石段を登ると,雰囲気のある山門がある。山門をくぐり,三崎神社に立つ。お参りをし,周りを散策する。日露戦争の慰霊塔がある。神社裏の本殿を覗くと,りっぱな建物がある。この土地の人々の並々ならぬ力を感ずる。

関の浦分岐点まで戻り,室浜合流点から室浜方面に行く。室浜は小さな集落であるが,家々はりっぱで,半島の離れ集落に来たという雰囲気はない。糸の越を通って,車を停めてある場所まで,ゆっくり戻る。

生里(なまり)→ 10:45 仁老浜(にろはま) → 室浜分岐 → 関ノ浦(せきのうら)分岐 → 11:30 讃岐三崎灯台 11:45 → 12:00 関が浦分岐 → 三崎神社 → 関ノ浦分岐 → 室浜分岐 → 室浜(不老浜ふろま) → 糸ノ越(いとのこし) → 仁老浜 → 13:30 生里

(2018年12月12日 水曜日 曇り時々晴れ)