トットちゃんとあみ子

「窓ぎわのトットちゃん」(黒柳徹子,講談社文庫)と「こちらあみ子」(今村夏子,ちくま文庫)はともに発達障害児の天真爛漫(てんしんらんまん)な日常を障害児の視点から分かりやすい言い回しを用いて描いた文章である。どちらとも評判になった著作であり,特に「こちらあみ子」は最近読んで今までに味わったことのない読後感を味わった。

「トットちゃん」が著者の実体験に基づいたエッセイであるのに対し,「あみ子」は小説である。「トットちゃん」は主人公(著者)の視点から見た世界を楽しく描いており,主人公の周囲の人々の苦悩を深刻には描いていない。主人公(著者)がその後社会人として活躍していることを読者は知っているから,主人公や周囲の人々が幸せに暮らしましたという文章になっていても何ら違和感はなく,むしろ清々(すがすが)しく感じられる。

それに対し,「あみ子」は「トットちゃん」と同じ主人公の視線で文章を記述しており,同じくらいな天真爛漫さを描いているが,主人公の後ろにいる著者は主人公の周囲の人々にも丁寧な目配りをしているので,周囲の人の苦悩がそれとなく表現されている。そのため読後あみ子への共感と結局周囲とは上手くつながれない現状が切にわかるため,この小説をどのようにとらえればよいのかという不安な感覚を持つ。

「あみ子」の書評を見ると多くの人が私と同じような読後感を述べており,むしろそのような不安な感覚を持たせる著者の力量を評価する声が大多数を占めている。

そのような書評の中で,例外として太宰治賞の選評において,加藤典洋氏が主人公と周囲の人々の関係をあいまいなままにせず,明確化しなければならないと言っていることに注目した。

私は読後,むしろあみ子の周囲の人々の苦悩がよく描かれていると感じたので,加藤氏の選評を読んだとき,最初どのような主張なのかよくわからなかったが,何度かその選評を読み返すうち,私は障害者の周囲の苦悩を漠然とステレオタイプに理解し,それで分かった気になっているということに気がついた。主人公とその周囲の人々の苦悩は,私はこの小説で十分に発揮されていると感じていたが,加藤氏のように感じなければ通り一遍の共感に任せた読書になるのかとも思った。

(2019年9月4日 水曜日 晴れ)