集め散ずる

新しい一万円札の顔が福沢諭吉から渋沢栄一になるとのニュースがあった。

天声人語によれば,渋沢栄一は「(お金を)よく集めよく散ぜよ」と云ったそうである。これは資本主義の良い面をよく表している。

対象がお金ではなく,人についてであるが,「(面識のない人が)集まり散ずるところ」が学校の本質であるというエッセイを読んだことがある。誰のエッセイかは不明であるが,なるほど学校の役割とはそういうものかと感心したものである。学校教育の内容が云々される今日このごろであるが,学校とは人の集い散ずる場をある一定期間提供するだけで,価値があるということである。

そのエッセイでは早稲田大学の校歌に

  集まり散じて 人は変われど
  仰ぐは同じき 理想の光

という文言があり,学校の役割の本質を表していると述べていた。

私が卒業した大学の学歌の3番にも「集まり散ずる」の文言があり,大好きな歌詞の部分である。

  友は 集り散(さん)ずれど
  蒼穹(そうきゅう)燃ゆる 北筑(ほくちく)に

  築く 文化の金字塔
  不滅の誓 頼母(たのも)しや

  いでや進まん 天(あま)翔(か)ける
  鳳龍(ほうりゅう)の旗 翳(かざ)しつゝ

  燦(かがや)かし 我等の歩み
  讃(たた)へよ あゝ光栄(はえ)ある母校

(2019年4月10日 水曜日 雨)